限界オタクアパート借りてみんなで暮らそう

何事にも期待やら依存やらしすぎるといい事ないだろうな、というのをなんとなく理解しているので、現実世界のあらゆる人・物に対し、フワッとした感情しか極力抱かないようにして生きている。

特に今までの人生でこれといって誰に裏切られた!とか、ガッカリした!みたいな経験をたくさんしてきたという訳ではない。ただ何となく、わたしはわたし自身にも大した期待をしていないので、「これ以上のクソデカ感情を抱くと思い通りにいかなかった時めちゃくちゃ落ち込んで日常生活どころじゃなくなるな」というのを心のどこかでわかっているんだと思う。

そんな中で、わたしが長期間、唯一と言っても過言ではないぐらいのレベルで依存しているのがインターネット、さらに言えばTwitterである。Twitterの何がそんなにわたしの心を掴むのか、今年で始めて9年に差し掛かるかというこの微妙なタイミングで、一度きちんと考えて整理しておこうと思い、この記事を書くに至っている。

Twitterの一番好きなところ、それは”自分とよく似た境遇、思考の人間と気軽に対話できる”という点である。いくつか前の記事でも書いたかと思うが、わたしは人間関係の築き方がめちゃくちゃ下手である。男女関係なく、その時の気分で居心地のいい適当な人間を見つけてきてはある日突然嫌になって離れていく、という謎のムーブを何回も何回も取ってきた。

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「自分は被害者」「可哀想」みたいな面下げてツイートをしているが、おかしいのは私自身なのは重々承知の上である。好きな人と一緒になって幸せな家庭を築けるのであれば、それが一番良いに違いない。世間の皆さんが言う”幸せな人生像”に幸せを見いだせないわたしは欠陥人間なのかもしれない。

わたしの愛するフォロワーにも、週5で孤独死の心配をしていたり、人並みの人間関係が築けないことを気に病んでいたり、自分の理想と現実とのギャップに思い悩んでいたりと、世間の言う普通になりたいけれど、なかなかなれない人間がたくさんいる。どちらかといえば”こちら側”の人間であるわたしにとって、私が作りあげたこのタイムラインは、あまりにも居心地が良すぎる。つまり、現実世界で埋めきれない心の穴を、インターネット上のよく似た人間達と傷の舐め合いをすることで埋めているのである。

 

インターネットで傷の舐め合いをしているオタクたちと「限界オタクアパートでみんなで暮らそう」と話し合うことが割と高い頻度である。「どうせわたし達は社会不適合者だから、結婚もしないだろうし、そのうち孤独死するかもしれない。せめて孤独死だけは防ぐために、同じ建物で一緒に生活して、互いの生活に干渉し過ぎない程度に楽しく生存確認しあいましょう。」といったなんとも後ろ向きな話である。

お金と元気とやる気さえあれば実現自体はそう難しい話では無いと思う。しかし、いざ実現するとなった時(そこまで本格的な話をしたことは無いが)、インターネット上の関係だからという理由で仲良くなることができた私たち社会不適合者が、現実世界で、しかも同じ建物の中で共同生活をすることができるだろうか。ズブズブの共依存に落ちていくか、他人との共同生活に限界を感じて逃げ出す人間がボロボロ出てくるに違いない。団体行動の出来ない社会不適合者は精神をボロボロにすり減らし孤独死するしかないのだろうか。